History
沿革
印章店・馬場静山堂を開店
昭和20年(1945年)11月5日、創業者馬場義彦は大田区下丸子の自宅に「馬場静山堂」の看板を掲げました。戦後まもない、焼け野原からのスタートでした。
個人経営から株式会社へ
昭和23年(1948年)、個人商店として営まれてきた馬場静山堂を法人登記。印章業から印刷業への事業転換の節目でした。そして1950年には、最初の自動式印刷機を導入しました。
構築された経営戦略「露文印刷への挑戦」
当時の経済政策の中心は輸出振興でした。その先兵をつとめるのはポスター、カタログ、パンフレットなどの外国語印刷物です。馬場誠司は、対ソ連圏貿易に挑戦し、その結果「露文印刷は馬場静山堂」という高い評価を獲得しました。
オフセット印刷へ舵を切る
高度経済成長時代に入り、高度で美しいカラー印刷の需要が増加。こうした時代背景を受け、オフセット印刷機導入の第1号となるハイデルベルグA半栽オフセット印刷機を設置しました。
本社工場ビルの建設
1971年、オフセット印刷化を推進。コールド・タイプへという製造部門の機能転換を推し進め、本社工場ビルを建設します。
渋谷コアを開設
1981年、営業部員の新たな拠点として渋谷へ進出しました。
下丸子工場開設と5色機の登場
1983年、下丸子に新しい工場を開設。クリーンな環境と5色オフセット機を導入しました。計3台の5色機は品質をシビアに追求し、お客様の要望を満たして当社の業績アップにつながる原動力となりました。
伝統と新生「セザックス」の登場
1987年、当社のアイデンティティの集大成とし、新たなC.I.プロジェクトがスタート。指向する未来の姿を表現する新社名として「セザックス株式会社」が誕生します。
セザックスクリエイティヴの設立
デザイン室が有限会社セザックスクリエイティヴとして、印刷業本体から独立。またマニュアルの急増にともない、マニュアルを制作する部門としてマニュアル企画部が発足します。
新世紀の船出。感動の経営へ
2001年4月27日、馬場明彦が代表取締役社長に就任。
また開発部を発足し、独自技術の開発もスタートしました。
才勝客思(セザックス中国)の設立
中国に進出されたお客様の印刷ニーズにお応えするため、才勝客思(セザックス中国)を香港で設立。中国広州を主な拠点として業務を開始しました。
下丸子に新工場(製本工場、倉庫)を新築
下丸子工場の隣地に、製本・進行管理・倉庫を集約した新しい工場を建設。カラー印刷工場と合わせて、印刷、製本、発送までの一貫体制が完成します。
株式会社セザックスドキュメントソリューションズを設立
業務の拡大にともなって、マニュアル企画部を分社独立。株式会社セザックスドキュメントソリューションズとして新たな歩みを始めました。
大阪に関西コア開設
関西地方に本社機能を持つお客様を中心に迅速な営業活動を実現するため、大阪市内に関西コアを開設しました。